蛇足的独言
ぼっちオタクのチラ裏。ネタバレ全開、攻略情報や二次創作・イラスト等は一切ありません。この愛も憎しみもすべてのものを冥加玲士に捧ぐ。
※ブログ主ははこだてあまねアレルギーなのでご注意ください
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三成追憶もとい城巡り旅記1
元々は「今年はどこ行こうかー(遙か4であまり思い入れが出来なかったので高千穂は保留だし・・・)城でも観る?」という城オンリーになるハズだった。
城ならどこでもいいと言われ、松本城も候補にあったけど相手が行ったことあったので「んじゃ話題の彦根城とか?国宝だし」と適当に決まった行き先。
そして「新幹線だから名古屋城も見れるね」「近くに犬山城あるよ」「ちょ、経路に関ヶ原がw」とだんだんマニアックになっていき・・・
2008.9.15から1600.9.15への旅。(ユリウス暦相違とか無視の方向でw)
1-関ヶ原
以下、写真をがっつり貼り付けているので表示にワンクッション置くためたたみ。
当方は西軍派。
平成二十年 九月 十五日 (月)
07:00自宅出発。数時間前にどしゃ降ったため天候は曇りで高湿の不快指数120%。
新横浜から名古屋へ、名古屋から関ヶ原へすべて予定時間の電車に乗車、計画通り到着。
駅でまず合戦参陣武将一覧がお出迎え。これはテンションあがる!
人とかいるのかな~と思ってたら意外といた。っていうか結構いたw
まず駅前の案内所に外国人観光団体客が賑やかにおり、資料館へ向かったらここもわいわい。合戦日にくるなんてみんなマニアックだな! まぁ追悼の意味で来てる人もいるんだろうね。
予定していたレンタサイクルはすべて出ているらしい・・・戻ってきたら連絡をくれるというのでその間に資料館見学。30分くらいで借りられました。
徳川家康最後床几場跡→笹尾山石田三成陣跡→決戦地跡の順でこぎこぎ。時間の関係で三箇所だけ。
まずは資料館からすぐ近くの徳川家康最後床几場跡へ。
とってきた首をここで実験したとのこと。
なんとも複雑な気分になり、笹尾山へ向かう。
笹尾山までゆるい上り坂で、大腿筋の衰退している私にはきつい。
ひーこら言いながらこいでいるとやがて見えてきた。
うわさの二重の馬防柵。
さらに三成本陣まで笹尾山を軽く登らなければならないが、ここから見える階段を前にした時点ですでに「なんかキツそうだけどどうする・・・?」的な後ろ向き発言が口から飛び出す。でもせっかく来たんだし一応頑張ってみるかと登山(大げさ)開始。ちょ、これホントにきつい・・・!
5~10分で展望台的なところへ到着。息切れがひどく、しばらく言葉が出ません。
しかし関ヶ原が一望出来るような場所であり、これは敵の布陣が一目瞭然!
「霧で視界がきかない」(とか言ってみたりして)
別に霧は出てないけど曇天で遠方の山が霞んでいた。
当時もこんな似たような天候だったのかもしれないと思うと感慨深い。
時刻は12:30頃。小早川の裏切り開始くらいでしょうか?
小早川陣の動きはここから見えただろうに、どんな心境だったのだろうか・・・そんなことを考えてしまい、なんだか切なくなったり。
三成本陣跡解説。
お線香があがってました。
あ、そうそうオタクがいましたよ! 三成Tシャツだか幸村Tシャツだかを着た女性二人組。石田三成のヌイグルミも持ってました。
あれは絶対にオタクだと私の直感が告げています。絶対に無双を知っている人種だ・・・。
呼吸も落ち着いたところで決戦地跡へ。
右側には徳川葵紋の旗が立っているのだけれどあえて大一大万大吉のみのショットも一枚。
やっぱり地元の武将なだけに、各所の解説が三成寄りに感じた。
これだけ想われているなら彼も少しは報われないかなぁ・・・。
皮肉にも、「徳川幕府の政治の基盤は三成の思想が礎になっているらしい」と資料館だかどこかに解説があって涙が出そうになった。
黄金に輝く稲穂の横を駆け抜けて資料館へ帰着。
見ていない残りの展示を回り、関ヶ原にお別れです。
関ヶ原で太平の世を夢見て戦い抜いたもののふたちよ、408年後の日ノ本にイクサはありません。どうか安らかに・・・
ちなみに資料館の二階に展示されていた地方新聞記事(?)に戦国無双のことが載っていた。
『女性が惹かれる三成の容姿』(うろ覚えだけどこんな見出し)に「人気ゲーム戦国無双2でホストのような容姿」とか、他にも「東軍は案内したことないですね・ガイド談」(三成好きが多いんでしょうね~やっぱ)とか。
やめろぉぉぉぉぉぉぉぉ/(^q^)\
もういちいちおかしくてどうしようかと。ホストとか腹痛いw
いやね、肥の残した功績は素晴らしいものだと思います。
石田三成という人物について正直私の中では「関ヶ原の敗将」としか認識されておらず、それ以上でも以下でもなかった。
どんな思想を抱き、どんな想いで戦ったのか。そんなの知ろうともしなかった。
「関ヶ原の敗将」というのは真面目な話、中高生で学んだこと以外を突っ込んで知ろうとしなければ、ほぼ一般的な三成の人物像だと言えるんじゃないか。
そんな人物を「ツンデレ美形武将」として世に送り出したのはやはり肥の偉業ですw
乱髪兜の使い方とかも・・・そう使うか!という感じで。
ゲームをきっかけに、大一大万大吉の意味、それを旗に掲げた彼の思想、そして覚悟―その一片を知ることのできた今は西軍をプッシュ。(まぁもともと上杉家大好きなので選ぶとしたら西軍だけどというのは置いといて)
もちろん個人的に賛同しかねる部分も数多くあるので、盲目的に三成を慕うわけではないけれど。
変えられない過去のもしもを考えるのはひどく無価値。でもそんな三成が勝利していたらどんな世が作られていたのだろうとやはり想いを馳せずにはいられない。
ぶっちゃけ無双の三成はそこまで好きなわけではなかったのに、リアルで色々見聞きしたら三成を好きになってしまったような気がしますよ(’’
オ/グ/リ/シ/ュ/ンはどんな三成像を作ってくれるんだろうか、そういう意味でとても楽しみです大河。
おっと話が盛大に反れたな・・・
資料館でお土産も買い終え、関ヶ原を出立したのはちょうど14:00頃。
勝敗がつく時間ですかね。ここで雨が降り始めました。
三成の涙かな・・・と阿呆なオタクなのでそんな妄想をし、切なくなりつつ彼の地へ別れを告げました。
とりあえず関ヶ原ちょー楽しかったぜ!
2-彦根城へ続く。
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